備中手延べ素麺
 

鴨方町の山地から流れ出る川は、備中最大の水車集落を発達させました。
また、明治後期には水車小屋が軒を連ね、藩主に納入する小麦粉を製造し、酒処鴨方の酒米を精白していました。
そこに、そうめん製造の技術が伝わり、
冬季に乾燥した晴天が続き、自然条件に恵まれグルテンの高い良質な小麦の産地であった備中南部が
水車による製粉の「手延べそうめん」で備中地方の中心となりました。